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2013年 05月 18日

現代人は、<時間の概念に囚われた>不幸な人種

(130517メモ、補記、追記)

この3~4日ほど、腕時計の電池切れで、

(腕時計の電池交換の金を捻出する余力も無く、また 面倒だったので、)

腕時計をはめないで、過ごした。

そうすることによって、

一種 時計(:時間)を気にしないで、仕事が出来る状態になり、

(しかし、やはり 時間が気になり、つい 時計を嵌めていた左腕を上げたりしたが・・・、)

かつ、

(会社の机には、デジタル電話に時間は表示され、わざわざ取り出せば、その時の時刻は分かるので、)

時間が止まっている訳では無いが、

時間から解放された気になった。

時計など無かった 昔の人間と同じく、

「時間」の概念に囚われた現代社会の「時(とき)」から解放され、

自由(感)を感じ、

しばらくは、腕時計無しの生活をしようか?と思っている・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

何故、人間の行動や生活に、「時(とき)」が必要なのか?

分(ふん)、秒(びょう)の刻みが必要なのか?

世界がグローバル社会になり、世界中が同一の正確な時間で刻まれないといけない 、と現代社会に生きる人間は 思っているが、

江戸時代の不定時法なりの方が、

よっぽど 季節や その日一日の昼夜のリズム、人間の体内のリズムに合った 合理的な「時(とき)」の概念だった、ように思える。

未開社会(?)の原住民が、時間の観念が無い野蛮な人種と、近代合理主義の(西洋化された)人間は、思ってしまうが、

腕時計をはめない日々を過ごすと、

現代人は、<時間の概念に囚われた>不幸な人種のように 思えてきた・・・。
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by mohariza12 | 2013-05-18 02:10 | 時間 | Comments(8)
Commented by mohariza12 at 2013-05-18 11:32
投稿記事の文を入れ替え、

(会社の机には、デジタル電話に時間は表示され、わざわざ取り出せば、その時の時刻は分かるので、)
時間が止まっている訳では無いが、

としました。
Commented by mohariza12 at 2013-05-18 15:20
文中の記事を
<江戸時代の不定時法なりの方が、よっぽど 季節や その日一日の昼夜のリズム、人間の体内のリズムに合った 合理的な「時(とき)」の概念だった>としました。

「その日一日の昼夜のリズム、」を追記しました。
Commented by mohariza12 at 2015-03-05 18:07
このコメント記した後、2014年には私は腕時計無しの生活を送っているが、全く不自由を感じていない。

<「時間の概念」から解放>されたか?は分からないが、刻々の時間を気にすることは無くなり、ある区切りの時刻まで物事をすればよい!との考えを持ち、その時に、携帯電話に機能している時計を見るなりして 澄ましている。

または、今何時か?と思い、このくらいの時刻かな?と思って時刻を携帯で確認する、とか…。そして、そう思ったら、大体その時刻近くであるコトが多くなった。
体内時計が働くようになったのか…?とも思っている。
Commented by mohariza12 at 2016-02-14 19:39
2013年5月以降、腕時計を嵌めていないが、不自由さは 一切感じてない。

時間の重要さを知っている現代人こそ、時計無しの時間を過ごすコトが重要なのか…?とも思っている。

時間を掛けやらざるを得ない時は、時の刻みを忘れ 集中すべきであり、
よっぽどの予定時刻を知るコト以外には、時計は不要であり、身近な所に腕時計変りの時計機能のモノが溢れているので、腕時計無しでずっと過ごしている。

Commented by mohariza12 at 2017-06-29 21:56
この「現代人は、<時間の概念に囚われた>不幸な人種
」の記事は、2017年6月現在も実行していることだが、

時間に束縛されず、モノゴトに集中することが大事だ、と改めて思っている。

とは、云っても、歳を取ると、時間の観念が薄れる(:あっという間に過ぎてしまう?)のかも知れないが、

此処という時の集中力は、単なる時計の時間より重要!と思っている・・・。

この頃 ブログ投稿が減ってしまったが、この記事を読み返し、前(:昔)は 結構その時々で、鋭い投稿をしていた、と 思った。

Commented by mohariza12 at 2018-04-29 15:32
たまたま、過去のこの記事に辿り着きましたが、2018年4月時点で、その後 腕時計無しで生きています。
時間を知るのは、携帯電話の時間表示機能で十分で、
時間を気にしながら、腕時計を見ることをしなくなってから、
生物の本能(?)の生命の時間感覚が磨きが掛ったのかも知れません・・・。
Commented by mohariza12 at 2018-04-29 21:06
前のコメントの中の一部の「時間」と云う言葉は、「時刻」とすべき、と思いました。

<「時刻」を知るのは、携帯電話の「時刻」表示機能で十分で、
「時刻」を気にしながら、腕時計を見ることをしなくなってから、
生物の本能(?)の生命の「時間」感覚が磨きが掛ったのかも知れません・・・。 >
と、訂正します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ある特定時間(時刻)は、ある時点(:時刻)で、その後、ある処置(:ある時間を使ってその事項を解決をつけるか…)等をするのに どのくらいの時間が掛かるか?が、重要で、
それ(:時刻)を一々時計を見て確認していても、処置時間が変わることはありません。

ある経験を積むと、どの位 その処置等に時間が掛かるか、が推測されます。

「時間」は、客観的な事象と思われるかも知れませんが、個々の刻まれる「時刻」は、一々 気にする必要は無い <時間の流れの単なる一コマ>で、
ある処置に掛かる「時間」を経験上、如何に処置するか?が重要で、「時刻」は 単なる 経緯の<一コマ>でしか 無く、
ある重要な<時刻>に間に合わせるなりは、如何に<時間>を処理したか?が重要に 思っています・・・。

Commented by mohariza12 at 2018-04-30 17:44
私は、腕時計無しの生活をしだしてから、ある時点(時刻)からある仕事等をやり出してから、今何時位か?と推測し、だいたい当たる様になって来ました。
ゴルゴ13ほど正確には行きませんが、
生命の体内時計を磨くことは、大事だと思います・・・。


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