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2013年 02月 10日

中村桃子著の「女ことばと日本語」を読んで(・・・まとめ)

2013年01月15日付けの<中村桃子著の「女ことばと日本語」を読んで(続く・・・)>の続編と、
私の「女ことばと日本語」の考えを記します。

・・・・・・

中村桃子氏は、

第3部<女ことば礼賛>の冒頭で、

女ことばは、日本女性が長い歴史を通じて大切にしてきた日本の伝統だとみなされています。
けれども、これまで見て来たように、明治・大正時代には、女性と結びついた言葉は「伝統」と評価されるどころか、批判され、正統な「国語」から排除されていました。
では、どのようにして女ことばは日本語の伝統になったのでしょうか。

(p142)
と記し、

5章<女ことばは日本語の伝統だ>で、

戦争(:太平洋戦争)中に起こった変化のひとつに、女ことばの「起源」に関する言説が発生したということがあります。
まず、起源として取り上げたたのが、女房詞(にょうぼことば)です。

(p144)
とし、

女房詞については、宮中から発生したという理由から、天皇家との連続性を強調する言説が多く見られます。
・・・
次に、敬語については、世界に誇るべき日本語の特色としての位置づけが多く見られます。

(p146)
つまり、戦中期には、女ことばの「起源」が語られ始めました。
そして、天皇制を継承した優美なことばという意味づけが与えられた女房詞と、日本が誇るべき特色とされた敬語、この二つが女ことばの起源として取り上げられ始めたのです。

(p147)
とし、

これに加えて戦中期には、女ことばは日本語だけに見られる特徴で、これが日本語の優位、ひいては、日本の優位を示しているという言説がたくさん発生します。
(p148)
としています。

当時の日本では、多くの地域語(いわゆる方言)が話されていました。
日本から植民地にわたった人たちや日本語教師になった人たちも、当然のようにそれぞれの地域語を話していました。・・・
皮肉なことに、植民地における日本語教育を話し合おうとしたときに、日本国内にひとつの「国語」が存在しない事実に突き当たってしまったのです。

(p156)
そして、日本語の優秀さを裏づけるために最大限に利用されたのが女ことばです。
(p157)

人称詞については、「君」「僕」「俺」は「男性用語」と説明しています。
文末詞についても、「の」「わ」「よね」「のよね」「わよ」「わね」は女子用、「ぞ」「なあ」「な」「さ」「かなあ」「なよ」「なね」は男子用と、性別によって細かく分かれています。

(p157~158)
と示し、

「女ことばは国語の伝統だ」という認識は、戦後も継承して維持されていきました。
(p162)
日本の辞書がはじめて女ことばに類する言葉を掲載したのは、昭和50年代だと考えられます。
以前の辞書には、大正10年「源泉」、昭和7年「大言海」、昭和30年「広辞苑」1版、昭和31年「訂正大言海」には女の言葉に関する語は掲載されていません。

(p163)
と指摘しています。

そして、「女性の言葉の乱れが気になる」の項で、

戦時中に女ことばが、「日本語の伝統」になったために、そして現在でも、その意味づけが残っているために、「日本女性は女ことばを話している」という幻想が、日本の伝統が保たれていることの象徴とみなされているからです。
極端なことを言えば、社会がどんなに変化し、先行きの分からない不安を抱えていても、女が女ことばを話している限り、日本の伝統は保たれていると安心するのではないでしょうか。


(p164~165)

と看破しています。

7章の<「女らしさ」と女ことば>においては、

戦後の言語学者の

言説に共通しているのは、「女ことばは残すべきだ」と直接主張することはせず、
まず「女ことば」を社会的なものと自然なものと区別したあとで、「社会的なものはなくなっても自然なものは残る」と主張している点です。

(p207)
とし、
女ことばは、自然な女らしさを反映した言葉づかいとして再定義されました。
(p208)
としています。

そして、8章の<日本語には、なぜ女ことばがあるのか>で、

「女ことばは自然な女らしさに基づいて日本女性が使ってきた日本語で伝統である」という理念は、米国の占領軍による民主主義の導入や女性の解放に対して、日本政府が家族国家観による国民支配を継続しようと試み、国語学者が日本語の伝統を守ろうとする課程で創造されたことが明らかになります。・・・
女ことばはたんなる言葉づかいではなく、日本の伝統や誇り、社会秩序を象徴するものになりました。

(p226~227)
と指摘しています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私の2012年07月08日付けの<「男言葉・女言葉」(英語篇) >で記したように、


<昔、英語には男言葉・女言葉の別は無く、日本語独特の表現かと思っていましたが、
ネット等を調べ、英語にも、その別はあり、世界の言葉にも、男言葉と女言葉の差があることが分かりました。

英語では、感嘆詞を多用する女性的な印象になる、
付加疑問文 はビクトリア時代上流貴族の女性が疑問形(疑いのニュアンス)を避けるために使われ初め、のちに一般化したとされる、
が「女言葉」の特徴
のようです。

男性言葉ぶっきらぼうで文法を無視、これがアメリカでは男らしい象徴でした。
女性言葉は対して丁寧で文法的にも正しい使い方 をしているようです。

日常的には男は強い、直接的な表現女性はソフトな表現 をするようです。

要は、丁寧で婉曲な言い回しも女性のほうがよく言うみたいで、
丁寧さが求められるのは万国共通
のようです。

日本でもそうで、ぶっきらぼうな言い方が許されるのは社会的に上位である男性の特権 のようです。

女ことばの傾向としては、ストレートに物を言わず maybe や perhaps を多用する、
礼儀正しい標準語を多く使う、肯定文を尻上がりに発音して尋ねたり、付加疑問文を多く使ったりする
、などがあり、
年齢や社会的地位が高くなればなるほどこの傾向がよく見られるようです。
つまり ティーンエージャーの言葉にはあまり男女差がありません
日本語にも同じことが云えるようです。>

・・・・・・・・・・・・

日本の方言においては、男女差はあまりありません。

日本語の「女ことば」は、教科書や、翻訳の中でしか、表現されない女性の標準語とされるものでしか無いようです。

しかし、「女ことば」は、女性の感情を入れて話そうという気持ちとか、柔らかく話そうという気持ちとか から出てきて、自然と発生される ように思います。

現代の日本の「女ことば」は、中村桃子氏が指摘したように、

源は、明治12、3年、一部の女学生が、一度明治になり、男性と同じ袴をはき、学び、行動の自由を体験した後に、再び儒教に基づく引き締めが始まった時期、
学校が押しつけたものと違う自分たちのアイデンティティを作り出そうとした試みで、「てよ・だわ・のよ」などを使い始め、
それを明治時代の日本の外国語の翻訳者が、外人の女性の「女ことば」の翻訳から発し、
(太平洋)戦時中に、国策として、伝統ある「女ことば」として、創出したのかもしれません。

しかし、世の中、男女共 皆が丁寧な言葉を発すれば、良いのでしょうが、

男の性格からして、粗野で、ぶっきらぼうなのが男言葉の性分で、

それに対して、

女性の声の柔らかく、穏やかな、丁寧な「女言葉」で、会話等を和らげることは、重要な気がします。

日本語しか「女言葉」は無いのは、一種の幻想のようで、

私には、「女ことば」とされる「・・・だわ」「・・・わよ」は、普段聞くには、何処か違和感を感じていますが、

丁寧語としての「女言葉」 は、日本では いつまでも残って欲しい気がします。

世の中、ギスギスしないためにも・・・。


by mohariza12 | 2013-02-10 21:06 | 言葉


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