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カテゴリ:映画( 7 )


2016年 09月 12日

映画「イングリッド・バーグマン~愛に生きた女優」を観ての感想

95日(月)仕事帰り、渋谷のBunkamuraルネ・シネマで、ドキュメンタリー映画「イングリッド・バーグマン~愛に生きた女優」を観てきた。


元々、
Bunkamura 1階で開催していた「公開記念 イングリッド・バーグマン写真展」が6日で終わると云うので、

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それを観るためにBunkamuraに行ったのだが、

すでに終わっていると思っていた映画がまだやっているのが途中で分かり、急ぎ5階のルネ・シネマに行き、本編が上映前に間に合い、観たのだった。

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私の過去のブログ< moharizaメモ>の「私の好きな女優・・・イングリッド・バーグマンについて http://mohariza06.exblog.jp/5066184/)でも記した様に、
この映画を観る前にも、イングリッド・バーグマンの人生については、
2冊の伝記を読んでいて、一般の人より詳しい筈だったが、


この映画で、(伝記にも記されていたが、)
バーグマンを輝かせたのは、賞でも名声でもなく、「自分らしく生きる」こと>だ、と云うことが思い知らされた。

この映画は、バーグマンの4人の子供のインタビューもあり、バーグマンの子供の視点から描かれている(とも云える)が、

膨大なバーグマン自身がプライベートに撮った写真やホームムービーが過半数以上取り入られ、それが全てとも云えた。

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(但し、バーグマン自身に興味が無い観客には、<前半部で後ろの客席の方でいびきが聞こえた様に、>それが退屈でしか無いかも知れない、とも思った…。)


なお、映画のナレーションを、バーグマンと同じくスウェーデン出身で、『リリーのすべて』で本年度アカデミー賞 助演女優賞を受賞した若手女優、アリシア・ヴィキャンデルが担当し、まるでバーグマン自身がバーグマン自身の日記・手紙等を語っているような雰囲気を醸していた。


この映画の中では、

カメラの前や授賞式での女優としての堂々とした表情や子供や夫と過ごす愛に溢れた日常の幸せを送りながらも、バーグマン(:ヴィキャンデル)が語る様に、

「私はカメラの前の方が自由でいられる」バーグマンにとって、


「夫と子供と過ごす時間はとても幸
せ、でも生きているのは私の半分」、
「もう半分はカバンの中で窒息寸前。」との(バーグマンの地の)声が、
バーグマンを栄光なハリウッドの世界から、イタリアのロセリーニ監督の下へ走らせたのか…?とも思わせた。


そして、バッシング後、ようやくの帰米に際して、
「振り返って後悔することはありますか?」との記者に対して、

「何もありません」と答えたバーグマンには、


やはり、<自分らしく生きてきた強さ>と、(子供たちを思いつつも、)<愛することを恐れない>生き方が、画面に出ていて、

「聖女」から「悪女」、そして「伝説」へ>と云う生涯を貫き、<勇気を持ち続けた人>で、


子供たちからは、(母としてで無く、)「風の向くままどこまでも行く あんなチャーミングな人はいない」と云われる存在だった、
のはバーグマンにとっては、この映画によって(その生き方が)救れたのか…?、と思った。


でも、この映画で知ったことは、
3歳のときに母親を、13歳のときに芸術家・カメラマンだった父親を失い、その後、半年後、叔母にも失ったバーグマンにとっては、


幼い時から愛された父に<カメラ>を通じて ずっと自身を撮られていた、と云う環境で過ごし、

生涯、カメラを通じてでしか、自身を表現できない、と云う女優の性(さが)が付きまとっていたのか…、と思った。


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by mohariza12 | 2016-09-12 19:33 | 映画 | Comments(3)
2016年 03月 06日

映画「ラスト、コーション」を観て・・・(追記あり)

久しぶりに映画のコトを記します。
(<160306>・・・<160302初稿>の記事を大幅に手を加え、追記し、画像等の添付をしました。)

2月26日(金)たまたま深夜 (…途中で寝ようと思ったが、結局最後まで観て、観終わったのは 早朝4時を過ぎていました・・・) WOWOWの映画で、2007年のアメリカ、中国、台湾、香港合作映画(Rー18指定)の李安(アン・リー)監督の「ラスト、コーション」を観た。
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その後、ずっと、「ラスト、コーション」と云う題名の意味が分からなかったが、今日(160302)ネットで調べ、
ブログ「映画評論 ラスト、コーション(色、戒)」で、
・・・なお、このブログ記事は、ネタばれが多く記されているので、未見で観たい方は注意してください。

「ラスト」は、LAST(最後)ではなくLUST肉欲)で、これは(欲情)のことで、そしてコーションはCAUTION(警戒、警告)で、(戒律)のこと、と知った。
・・・題名が「ラストコーション」でも 「ラスト・コーション」で無く、「ラスト、コーション」であることが、この映画の奥深さの味噌、と思う。

<(160306追記:)映画の解説としては、「池内ひろ美の 映画大好き!」の中の<奥山篤信による「ラスト、コーション」の方が概説として、理解しやすい、と思った。>


凄まじいセックスシーンが描かれているが、戦時下(:日中戦争)の究極の場での肉欲を通しての男女の情が見事に描かれていた、と思った。

(<160308追画> 一通りのストーリーを知る予告編としては、下記の動画を・・・一応16歳以上のものか?
https://www.youtube.com/watch?v=WrJB0zLPKwM

http://jp.xvideos.com/video359883/sex_from_lust_caution> (・・・この動画へのアクセスは、20歳以上に限ってください。

日々極限状況での任務達成を強いられる 親日の特務機関の幹部の易(イー)役の梁朝偉(トニー・レオン)の押えた演技と激しい情動の演技が良かった。
女学生の王佳芝(ワン・チアチー)(:イー宅に潜入しマイ夫人を演じる)役の新人の湯唯(タン・ウェイ)の初初さだけで無い迫真の演技も良かった。

どちらも目の演技が冴えている、と思った。

(<160308追画> 目の演技を観るには、下記の動画を・・・18歳以上のものか?
https://www.youtube.com/watch?v=Abr7zuxmr_I


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これと似た戦時下の狂気の下での男女を描いた映画では、
過去に1973年制作のイタリア映画 『愛の嵐(英題: The Night Porter)』
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(監督:リリアーナ・カヴァーニ)でのダーク・ボガード演じるナチス親衛隊の将校マクシミリアンとシャーロット・ランプリング演じる 強制収容所で弄まれたユダヤ人の元少女ルチアの関係に近いと思った。

また、デヴィッド・クローネンバーグ監督の中国の文化大革命当時の史実を元に描いた1993年作の米国映画 『M(エム)・バタフライ(M.Butterfly)』での

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ジェレミー・アイアンズ演じる白人の外交官と、京劇舞台で「蝶々夫人」を演じる女優かつ女装した中国のスパイ(ジョン・ローン)との関係にも観られる。

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どちらにしても、戦時下等 その極限状態においては、人間関係も男女関係も異常な極限状態になる、と思う。

昨今の戦争を好む人間(:戦争オタク)は、その極限状態に耐えられるのだろうか・・・?と思っている。

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(160306追記)

なお、日本映画で<戦時下等の極限状態の男女>を描いたモノとしては、

「二・二六事件」があった1936年(昭和11年)5月18日にあった阿部定事件(あべさだじけん)(:仲居であった阿部定が、性交中に愛人の男性を扼殺し、局部を切り取った事件)を題材の

愛のコリーダ

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(1976年公開の日本・フランス合作映画の大島渚監督、藤竜也、松田英子主演)及び、
<『愛のコリーダ』より出来が良い、と感じる>
1975年の日活ロマンポルノ作品『実録阿部定

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(監督:田中登、主演:宮下順子、江角英明)も、
日本では少ない極限状態の男女を描いていた、と思う。

(註:監督:田中登作品については、moharizaメモでの|2006-12-06 の<故 映画監督「田中登」氏について>を参照)

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(なお、<男女を描いた映画>については、今後他で、追記があるかも・・・。)
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by mohariza12 | 2016-03-06 21:27 | 映画 | Comments(1)
2015年 04月 30日

2014年制作のアメリカ版映画『ゴジラ』を観たが・・・

昨日(4月29日)の休みは、夕方からカミさんが出かけ、特に急がなくてはいけない用も無かったので、
(<宇宙を含む地球システム図>の完成は、連休中に・・・、と思っていたので、)

前日に録画した2014年制作のアメリカ版映画『GODZILLA ゴジラ』(原題:Godzilla)を観た。

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監督のギャレス・エドワーズの作品は、
前回の1998年公開の『GODZILLA』より、初代の1954年版日本の『ゴジラ』をオマージュしていて、
また、映画音楽も、当初のゴジラ映画の音楽担当の作曲家 伊福部昭へのリスペクトも感じられ バックグランドで流れる音は、低音で地に響き、東洋のフレーズが西洋人としては、ふんだん取り入れられていた、と思った。

また、原発問題の捉え方も、日本の映画監督では、此処まで踏み込めなかった、と思われた・・・。
(と云って、奥深い所までは行っては無かったが・・・。<・・・途中で、怪獣にすり替わっていた!>
まあ~、それで無ければ、この怪獣映画自身が成り立たなくなるのだが・・・。)

しかし、どうも 日本の一作目の『ゴジラ』には、CGを幾ら駆使しても、どうしても敵わない、と思った。

ゴジラが何故、(アメリカへ向け)その様な行動を取ったのか、一応、解説的に紐解かれているが、
ゴジラの行動の<不条理さ>まで踏み込んで無く、やはり、どこか西洋的論理でしか無く、
今一つ(以上)納得<:スッキリ>行かなかった。

また、一瞬、ゴジラの足が観えたが、
(下図のフィギア模型のような か弱い足で、とてもその巨大な体重を受け止める足とは感じられず、)
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とても 怪獣王のような堂々たる畏怖(:威風)を感じさせないものだった。
<・・・この点が、一番の欠陥と思う!
・・・この些細なことでも、ゴジラファンとしては、イラつくのだ・・・。>

次の新たな『エヴァンゲリオン』監督の庵野秀明が脚本・総監督する日本版『ゴジラ』に期待したい。
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by mohariza12 | 2015-04-30 23:19 | 映画 | Comments(2)
2013年 06月 25日

大林監督が、北海道芦別を映画に撮ることによせ・・・ふるさと

私は基本的に新聞は、空読みで朝刊はじっくり観ることは無く、夕刊は(新聞社の記者で無い文化人なりの)文芸欄、(科学の解説者の)科学欄を読む程度だが、夕刊は、朝刊より読む方だ。

今日(6月24日)の淺非(:朝日新聞)の夕刊に下記の主旨の文面が載っていて、じっくり3面(?)記事を読んだ。
<この頃の淺非は、どれが三面記事か?が分からなくなっている。
私は、4コマ漫画が載っている紙面が、三面記事欄と思っていたが、4コマ漫画のページ(?)が3ヶ月前(?)に変わり、どうでもよくなったが・・・。>

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「尾道三部作」などで知られる映画監督の大林宣彦さん(75)が、北海道芦別市を舞台にメガホンを取った。

大林作品にほれこみ、炭鉱の閉山で寂れたふるさと が映画になることを願いながら、36歳で病死した1人の市職員の遺志が実った。

職員は、市観光係にいた故・鈴木評詞(ひょうじ)さん。

1993年から毎年秋に芦別で開かれている「星の降る里 芦別映画学校」の発案者だ。

「学校」は、短編作品コンクールを中心とした市民有志主催のイベントで、校長を大林監督が務めてきた。 

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大林監督の作品は、全てを観た訳では無いが、その作品には、日本の情緒が醸され、人間味があり、好きな監督作品だ。

偶々、仕事で尾道 附近 に行った時、尾道市では無かったかも知れないが、ある(それなりの店だったが・・・)飲み屋で、顔を拝見して、生身でも、心豊かな人だ、と察した。

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北海道 芦別市は、故郷が無い私にとっては、第二の故郷(ふるさと)のようなもので、
昭和34年度から37年、40年度と居た所で、懐かしい所だ。

幼稚園児から小学校1年生の途中、4年生と居た所で、
まだ炭鉱が、(九州 田川炭田などが衰退後も)まだ活気があった小学校1年の時
<:その当時、北海道では、小学校にはプールが無かった時代にプールがあり、給食制度も完備していた時代>、
その後、釧路の近くの白糠郡庶路町へ1年途中から3年生まで居たが、
芦別に戻ってから、炭鉱がほとんど閉山になり、
親友も荒れ、昔の面影が無くなったことを体験している。

雪はそんなに多くは無かったが、寒さは半端でなかった。
小学校に朝行った時、寒暖計が マイナス30度近くになっていたこともあり、
吹雪や、石狩川の支流の芦別川は、切り立った渓谷に近く、川と川を結ぶ橋下は、深かった。
当然、川は冬は凍り付き、川の上を横断した記憶は無いが、ダムから下の凍った川は印象に残っている。

よく、私の自宅(: 2軒が繋がった平屋木造の社宅 )があった所から、てくてくと坂道を下り、橋を渡り、坂道を登り、半年だけだったが、
(幼稚園は、途中の橋の近くなあった・・・、)
1人で通ったと思う。
当時は、集団登校など無かった。

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仕事の関係で、25年ほど前、芦別を訪れ、東芦別小学校に行き、昔通った、と云うことで、中に入ったことがあるが、半年+1年しか通って無かったが、木造の2階(?)建ての校舎が懐かしく思った。
帰り際、学校に居た人が、「後数ヶ月後には、(統廃合か?)この校舎も無くなる」と云っていた。
偶然訪れ、行って、中に入ったから良かった。

(第三の故郷の)白糠郡庶路町の小学校は、訪れた時は、もう昔の所には存在して無かった。

もちろん、私の産まれ故郷の炭鉱の町の 田川郡赤池町の住宅街は、街ごと、消失して、
私の(本当の)故郷は、存在しない・・・。


だから、私には、故郷(:ふるさと)と云う概念は 存在しない。

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一時、過去を遡り、産まれ故郷の九州筑豊炭田から遡り、北海道、また、九州博多の記憶を辿ったことがあり、紙にメモしたが、
それは何処かに閉まったのか?今は見当たらない。

大林監督なら、炭鉱の人々の悲哀、心の豊かさを その愛情深いまなざしで表現してくれると思っている。

公開の暁には、妻、子供とも一緒に行きたいとは思うが、そんな感傷が無い 妻・子供は行く筈は無い、とは思っている・・・。
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by mohariza12 | 2013-06-25 03:46 | 映画 | Comments(0)
2013年 06月 08日

良い映画を観たい・・・・

2013年01月23日付けの
屠殺(とさつ)場を初めて見たが・・・
(http://mohariza12.exblog.jp/19659551)で、

昔観た (近)未来のSF 映画「ソイレント・グリーン」の世界になっても、
食すのみの消費者は、食べれるものがあったなら、 平気で生き続けるのだろう・・・、と思った。
>と記したが、

ブログ「とか成るさ・・・ 」9月 6 '12(:平成12年9月12日)
(http://ken1ymd.tumblr.com/post/30981243001/2022-sf#)で詳しく、的を得た記事を見つけたので全文を掲載し、私が気になった箇所は色字等で変換しました。

<註:なお、原文は、<2008年7月23日水曜日付けの
映画『ソイレント・グリーン』 ・・・未来の加工食品がとんでもないことになっている>ようです。(http://oreno-yakata.blogspot.jp/2008/07/blog-post_23.html)>

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この作品は、西暦2022年のニューヨークを舞台にしている。
近未来SFだと、映画 “ブレード・ランナー”の世界観が今や主流である。
ブレード・ランナーが登場すると、雨後のたけのこのように似た世界観を持つ「映像」が次々と登場する (CGの仕事をしていても、未だに「ブレード・ランナーのような感じでお願い」という言葉を耳にする)。
リック・ベッソンは、”フィフス・エレメント”でもっと後の世界を描いたが、明らかにブレード・ランナーの世界観を踏襲している。
乗り物や工業製品のいくつかは新しいが、今の我々と似た生活様式や道具・家具も持っている(これは、全部未来風にしてしまうと現代との接点がなくなり、リアル観がなくなって、物語に共感できなくなってしまうのを防ぐためだ)。

しかし、ソイレント・グリーンは違う。

作られた1973年から50年後の世界(今から22年後<??>の世界)を描いているにも関わらず、未来的な建物も乗り物もほとんど登場しない。

むしろ現代より衰退している世界観で統一されている。

2022年の世界は爆発的に人口が増え、食料不足と大気汚染に悩まされている。

市民の食料や水は、週一回の供給制。通りも建物の階段も、汚い恰好をした人々で充満している。
供給される食品は、ソイレント社の固形食品”ソイレント・グリーン”。
海の養殖場で育てられたプランクトンから作られる緑色の食べ物。
クロレラやスビルリナをクッキーにしたような食べ物である。
チャールトン・ヘストン演じる主人公の刑事が、ある事件をきっかけにこのソイレント・グリーンの恐ろしい秘密を知るのである。

実は、海など当の昔に汚染されていて、プランクトンを供給できる状態ではなく、ソイレント・グリーンはなんと人間の死体から製造されているのだ。

それを知った主人公の叫びは、供給を争うしか能のない群衆に掻き消されてしまうという、ハリウッド映画にしてはアン・ハッピーエンドの救いのない映画である。

 この映画で、印象的なのは主人公の刑事が、上流階級の事件現場から生鮮食品やジャムをくすねてきて、老人と一緒に味わうシーンである。
主人公は、本物の食材の味に感動する。
老人から「私が子供の頃は、そういったものが満ち溢れていた」と聞く主人公。
やがて、老人は死を選ぶことに決め、ソイレント社へ赴く。
主人公刑事は老人を追うが、そこで死を選んだ者たちだけに与えられる特典を共に体験する。
世界から絶滅してしまった自然や動物たちの大映像を見せられる。
主人公の刑事は、かつて存在した自然の美しさを初めて目にし、驚嘆し感動する。
その素晴らしい特典と引き換えに老人は死んで、固形食品を製造する “ソイレント・グリーン”工場へ送られてしまった。

この映画は、水質汚染・大気汚染・土壌汚染など、ありとあらゆる公害による被害が先進諸国で巻き起こっていた時代を反映していて、まったく明るさがなかった。

一般受けしないのも、当然である。

今から約30年近くも前に、公害や環境問題を真正面から扱った稀有な超真面目SF映画である。

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私は、映画館では無く、たぶんTVの映画放映で観たと思うが、この映画は、確かに、世の中の不浄(:人類が生き残る道としては、道徳等を含め、自己矛盾を含めた)稀有な超真面目SF映画だったと思う。

たぶん、権力と密接に繋がった 現代米国ハリウッド映画界からは、創出され得ない映画のように思う。

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私は、昔、30年近く前、東京に来た当時、毎週2回以上、名画座等で映画を観ていたが、

今のハリウッド映画は、全然面白いとは思わず、観る気もしない。

日本映画の方が、まだ、映画監督なりの真摯な映画姿勢が垣間見え、優れていると思っている。
(但し、観る機会は無く、普段、呑んだくれて、映画を観るお金が無い・・・。)

過去の他の外国映画には、米国のチャップリンを始め、ロシア、フランス、イタリア、ドイツ、スゥェーデン、ポーランド等優れた映画監督の作品があった。

現代のハリウッドなりのCGを奇した陳腐な映画は、全く観る気はしていない。

良い映画を観たい気は、日本映画「舟を編む」を観てから、募っている・・・。
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by mohariza12 | 2013-06-08 19:33 | 映画 | Comments(0)
2013年 05月 08日

(予告) <映画「舟を編む」を観て>の補足

今日は、<映画「舟を編む」を観て>の補足として、

帰宅中、ふと、過去のブログ(:mohariza07時代)の投稿記事及び他のブログへのコメント等を思い出し、且つ、過去の映画で感じたことも含め、

映画の脚本、CG(:コンピュータグラフィックス)のあり方、舞台装置、映画における編集について等を 記そう(語ろう)と思っていましたが、

仕事が忙しく、バー「T」で気分転換し、マスターと深い(?)話をしたりして、帰宅が遅くなり、
且つ、このブログに行き着く前、他のブログに寄って、コメントを記したりし、
以前のブログ記事の訂正・追記を記したりしたので、

ここに行き着くのに時間が掛かり、

明日も仕事が忙しく、最低時間睡眠を取らないと、ならず、

本文(:本編)まで行けませんでした。

明日でも、<映画「舟を編む」を観て>の補足及び、私が思う映画(論?)を記します。
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by mohariza12 | 2013-05-08 03:14 | 映画 | Comments(0)
2013年 05月 06日

映画「舟を編む」を観て

やっと、昨日(5月5日)観た 映画「舟を編む」について、(色々処理することがあり、)記す環境状況になったので、記します。

(なお、前のブログでも記したように、映画鑑賞の前後に、また、私の神経(及び私の常識)を逆なですることがあり、せっかくの映画鑑賞に、水を差したことは、一切触れません。映画及び映画本編が始まった時間から、上映終わりまでの時間帯に感じた映画及び映画に対する思いのこと のみを記します。)

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(スクリーン左横の非常口の点灯が消え、天井からのライトも消え、映画へ集中する状況が整った。座席は前後が広く、どう云う体勢で観ても良いようになっていた・・・。)

2週間ほど前、市の図書館で、予備知識として キネマ旬報で 「舟を編む」の特集を一通り読んでいた。

原作者:三浦しをんは、原作を含め、彼女の本は読んだことはありませんが、
この映画への感想で、「自身の小説が映画化され得るとは思わなかったが、その映画には満足している」ことを知っていた。

映画監督:石井裕也は、初めて知った監督でした。
WIKKI生年月日 1983年6月21日(29歳)・・・若い!しかし、その映画は、映画監督・小津安二郎の佇まいも感じさせる映画に仕上げていた。今後大きく伸びる監督と思った。

主演 松田龍平は、1983年5月9日(29歳)、故俳優松田優作と女優松田美由紀の長男として芸能一家に生まれる。
中学校在学中、映画『御法度』の主役を捜していた大島渚の目にとまり、出演を直接要請されたことを機に、俳優の道に入る。
・・・この映画は観たが、妖艶な美男剣士を見事に演じ切っていた。
今回の映画を観て、松田優作の最初の頃の狂気を演じるのでは無く、しかし、映画『家族ゲーム』のような優作の演技の深さを若い内に演じ切れ、映画『ブラックレイン』の優作の演技をも、出来かねないと思った。
死した優作の遺伝子が、子に遺伝され、優作は、天国(?)で満足しているだろう、と思った。

当初の背を曲げ、自信が無い演技格好は、自身が必然的な演技として、考え出した、とのこと。
ロバート・デ・ニーロに迫る演技力を持つと思った。

脇役も、皆 押さえた名演技をしていて、良かった。

今回の国語辞書監修の国語学者役の加藤剛も久しぶりに映画で観たが、昔の泥臭い演技に比べ、押さえ切った演技で、映画を締めていた。

主人公馬締(まじめ)が下宿する大家役の渡辺美佐子も、自然な演技で、主人公を支えるおばあさん役を見事に演じていた。

加藤剛の妻役の八千草薫も、いつもと同じ、自然体で演技していた。
老いても、芯が通った名演技を演じ切ることに感心する。
(私は昔から彼女のファンである。)

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この映画の良い点は、まず、1995年から始まる 時間軸が発端から、新しい国語辞典編集の過程、及び完成までの行程を丁寧に追い、それが見事に分かり易く描いていて、辞書作成が如何に大変で、時間が掛かることを観客に語っていることだ。

その中での時間のキーは、主人公馬締の下宿の階段横の木の柱に掛けてある掛け時計で、その12時を鳴らす音と共に、12年間が経っている場面に切り替わるシーンは、見事だった。
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アメリカ映画「キャッチ=22」等から、時間が錯綜した映画が流行りだしたように感じるが、この映画は、正攻法で、厭きること無く時間を追っていた。

舞台としての木造の古ぼけた下宿も見事な脇役で、本に囲まれている主人公の舞台装置として良かった。
小道具も見事に配置され、時代想定に沿っていた。
小津安二郎のこだわりに迫る舞台装置だった。

辞書を作成している同じく古ぼけたコンクリート造の編集部のビルも、味わい深い舞台として良かった。
舞台装置として、あらゆるものがその時代を破綻が無く配置されていた。

(詩人寺山修司監督の1974年(昭和49年)映画『田園に死す』のような、時代考証の破綻(:郵便ポスト)のようなものは無かった。)

黒澤明監督、小津安二郎に通じる完璧度を持っていた。

カメラワークも、小津安二郎に近いローアングルも使い、辞書編集等の際の字を追うシーン、字を鉛筆で記すシーンは、アップで撮り、「字」が生きていた。

音楽も、押さえ、嫌みが無かった。
最近の映画は、変に大きな 音響効果の音 を入れ、役者の演技では無く、音楽で騙しているように感じるが、それを避けて、抑制が効いていた。

特に、辞書の紙の「ぬめり感」を音として見事に表現し、その質感を捉えていた。

全ては、松田龍平の名演技を讃えるべきなのだが、出演の演技者全員、及び監督を始め撮影方スタッフ・裏方が完璧だったと思った。

日本語の「字」と云うものの奥深さを丁寧に描いた見事な作品で、
また、映画を生で映画館で観たいと思わせる名映画だった。
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by mohariza12 | 2013-05-06 22:40 | 映画 | Comments(6)