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mohariza12メモ

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2013年 06月 25日

大林監督が、北海道芦別を映画に撮ることによせ・・・ふるさと

私は基本的に新聞は、空読みで朝刊はじっくり観ることは無く、夕刊は(新聞社の記者で無い文化人なりの)文芸欄、(科学の解説者の)科学欄を読む程度だが、夕刊は、朝刊より読む方だ。

今日(6月24日)の淺非(:朝日新聞)の夕刊に下記の主旨の文面が載っていて、じっくり3面(?)記事を読んだ。
<この頃の淺非は、どれが三面記事か?が分からなくなっている。
私は、4コマ漫画が載っている紙面が、三面記事欄と思っていたが、4コマ漫画のページ(?)が3ヶ月前(?)に変わり、どうでもよくなったが・・・。>

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「尾道三部作」などで知られる映画監督の大林宣彦さん(75)が、北海道芦別市を舞台にメガホンを取った。

大林作品にほれこみ、炭鉱の閉山で寂れたふるさと が映画になることを願いながら、36歳で病死した1人の市職員の遺志が実った。

職員は、市観光係にいた故・鈴木評詞(ひょうじ)さん。

1993年から毎年秋に芦別で開かれている「星の降る里 芦別映画学校」の発案者だ。

「学校」は、短編作品コンクールを中心とした市民有志主催のイベントで、校長を大林監督が務めてきた。 

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大林監督の作品は、全てを観た訳では無いが、その作品には、日本の情緒が醸され、人間味があり、好きな監督作品だ。

偶々、仕事で尾道 附近 に行った時、尾道市では無かったかも知れないが、ある(それなりの店だったが・・・)飲み屋で、顔を拝見して、生身でも、心豊かな人だ、と察した。

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北海道 芦別市は、故郷が無い私にとっては、第二の故郷(ふるさと)のようなもので、
昭和34年度から37年、40年度と居た所で、懐かしい所だ。

幼稚園児から小学校1年生の途中、4年生と居た所で、
まだ炭鉱が、(九州 田川炭田などが衰退後も)まだ活気があった小学校1年の時
<:その当時、北海道では、小学校にはプールが無かった時代にプールがあり、給食制度も完備していた時代>、
その後、釧路の近くの白糠郡庶路町へ1年途中から3年生まで居たが、
芦別に戻ってから、炭鉱がほとんど閉山になり、
親友も荒れ、昔の面影が無くなったことを体験している。

雪はそんなに多くは無かったが、寒さは半端でなかった。
小学校に朝行った時、寒暖計が マイナス30度近くになっていたこともあり、
吹雪や、石狩川の支流の芦別川は、切り立った渓谷に近く、川と川を結ぶ橋下は、深かった。
当然、川は冬は凍り付き、川の上を横断した記憶は無いが、ダムから下の凍った川は印象に残っている。

よく、私の自宅(: 2軒が繋がった平屋木造の社宅 )があった所から、てくてくと坂道を下り、橋を渡り、坂道を登り、半年だけだったが、
(幼稚園は、途中の橋の近くなあった・・・、)
1人で通ったと思う。
当時は、集団登校など無かった。

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仕事の関係で、25年ほど前、芦別を訪れ、東芦別小学校に行き、昔通った、と云うことで、中に入ったことがあるが、半年+1年しか通って無かったが、木造の2階(?)建ての校舎が懐かしく思った。
帰り際、学校に居た人が、「後数ヶ月後には、(統廃合か?)この校舎も無くなる」と云っていた。
偶然訪れ、行って、中に入ったから良かった。

(第三の故郷の)白糠郡庶路町の小学校は、訪れた時は、もう昔の所には存在して無かった。

もちろん、私の産まれ故郷の炭鉱の町の 田川郡赤池町の住宅街は、街ごと、消失して、
私の(本当の)故郷は、存在しない・・・。


だから、私には、故郷(:ふるさと)と云う概念は 存在しない。

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一時、過去を遡り、産まれ故郷の九州筑豊炭田から遡り、北海道、また、九州博多の記憶を辿ったことがあり、紙にメモしたが、
それは何処かに閉まったのか?今は見当たらない。

大林監督なら、炭鉱の人々の悲哀、心の豊かさを その愛情深いまなざしで表現してくれると思っている。

公開の暁には、妻、子供とも一緒に行きたいとは思うが、そんな感傷が無い 妻・子供は行く筈は無い、とは思っている・・・。

by mohariza12 | 2013-06-25 03:46 | 映画


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