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2013年 01月 15日

中村桃子著の「女ことばと日本語」を読んで(続く・・・)

中村桃子著の「女ことばと日本語」(岩波新書、2012年8月第1版)を読んだのは、去年の11月だった。
(すぐ再読をしたが・・・。その後、この本のことを記そうと思っていたが、中々機会が無く、年を越してしまった。)

中村桃子(以下中村)は、どちらかと云うとフェミニストと云ってよい著者(:関東学院大学教授)だが、本の内容は、
今までの日本語における女ことばについて、間違った考えを持っていたことを知らされる内容で、
言葉(日本語)について興味のある方は、是非お読みすることを進めたい。

以下、あまり詳述はしないつもりだが(今回も結局、引用が多くなってしまったが・・・)、中村の本の中から、なるほどと思った文を引用し、私の感想、考えも付記しようと思う。

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130210註:引用等の太文字は私。

序章の「女ことばという不思議」で、

ハリー・ボッターと賢者の石』(松岡祐子訳)の中の女の子の台詞の
まあ、あんまりうまくいかなったわね も練習のつもりで簡単な呪文を試してみたことがあるけど、みんなうまくいった 。私 の家族に魔法族は誰もいない
を引用し、
「私」「わね」「」「の」など、かなり女らしく翻訳されています。
今どきの日本の小学校五年生で、こんな話し方をしている女の子などいるのでしょうか。
1957年に翻訳された『風と 共に去りぬ』のスカーレットも、「いらない 。ほしくないの」と典型的な女ことばを話しています。
不思議なことに、現在、典型的な女ことばを話しているのは、日本人女性ではなく、翻訳の中の非日本人女性なのです。
(p9~p10)

<・・・英語等には、「女ことば」は無く、日本語のみにあり、外国の女性の言葉を翻訳する際、普段使う日本女性の言葉に訳している、とずっと思っていたが、逆で、よく考えると、「典型的な女ことばを話しているのは、日本人女性ではなく、翻訳の中の非日本人女性」なのかも知れない、と思った。

「女性は女ことばを話している」という思い込みがあるために、翻訳者が翻訳するときに、自分が持っている女ことばの知識を使ってしまうからです。
私たちが女ことばを知識としてメディアから学んでいるのだとしたら、女性たちが使ってきた言葉がそのまま女ことばになったという考えは、あてはまらいとこになります。
なぜならば、メディアの言葉は作家が創作した「せりふ」だからです。(p10~p11)

<・・・中村は、序章で、今まで「女ことば」は、自然に日本女性が使っていた言葉だ、と思っていたことが、おかしいこと、「女ことば」は、翻訳者なり作家が創作した「せりふ」であることを鋭く指摘している。

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一章にての「マナー本は鎌倉時代からあった」では、

福沢諭吉の著書から「況して婦人は静かにして奥ゆかしきこそ」の文を引用し、
天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と宣言した福沢諭吉でさえ、「女はしゃべるな」と明言していたことを示し、
女性のマナー本は鎌倉時代までさかのぼって見つけることができ、鎌倉時代から江戸時代、明治・大正時代まで広く普及した<女訓書>に見られる、とし、
(p31~p32)

どの時代にも、女性の話し方を管理することが、女性を支配するのに重要だ と考えられてき、
初期の女訓には、儒教思想や仏教の男尊女卑に基づいていたが、
普及するにつれ、背景にあった男尊女卑の思想は薄れ、
話し方のルールだけが女らしい「つつしみ」の表現として受けいられて行く ようになり、
規範に従わない言葉づかいをする女性は「つつしみのない女」となり、女性の話し方に枠をはめられることが正当化されていった。
この後も、戦中期の修身教科書や戦後の作法書、現代のマナー本まで、「女らしい話し方の規範」は、さまざまな社会変化に合わせて衣替えすることで、脈絡と継続していきます。
(p47)
と指摘している。


<・・・「女ことば」の源は、女らしい「つつしみ」の規範として、女性の話し方に枠をはめられた、と云うのは、なるほど!と思った。

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四章の <「女学生ことば」誕生>で、

二章(:ルールはどうのように強化されるのか)で、江戸時代の女訓書が女房詞(にょうぼことば)を「女が使うべき具体的な言葉」として女らしい話し方の規範を強化したことを確認した(p96)が、

明治12、3年、一部の女学生が、一度明治になり、男性と同じ袴をはき、学び、行動の自由を体験した後に、再び儒教に基づく引き締めが始まった時期、
学校が押しつけたものと違う自分たちのアイデンティティを作り出そうとした試み で、「てよ・だわ・のよ」などを使い始めた、
(p103~104)と示し、
むしろ、「てよだわ言葉」を女子学生の表象にしたのは、言文一致小説の書き手、(p108)と示す。
最初に「てよだわ言葉」が使われたのは、西洋の若い娘の翻訳 で、明治21年に二葉亭四迷が翻訳した『あいびき』に見られ、

西洋娘が使う「てよだわ言葉」は、<西洋・近代>のイメージと結びつく こととなり、
同時に、その話し手である女子学生も、最も<西洋・近代>に近い存在としてイメージされ、流通することになった。
その後は多くの小説で、日本の女子学生の登場人物にも「てよだわ言葉」が使われるようになり、実際の女子学生が小説中の言葉づかいをまねる現象まで指摘されるようになる。
(p109)
しかし、今の私たちから見ると女らしくて丁寧に感じられる「~てよ」「~だわ」という言い回しみも、当時は軽薄な女性の言葉づかいだと考えられていたと指摘している。
(p116)
その後、漱石の『吾輩は猫である』(明治38~39年)に示されているように、「てよだわ言葉」がこの時点で上流の若い娘の象徴として機能するようになる。
(p119)
そして、<漱石の『それから』(明治42年)で、年長の女性(:八千代)に女学生ことばを使わせたのは、芸枝や遊女とは違うセクシャリティを表現できる言葉には、女学生ことばしかなかったから でしょう。(p128)>としている。
が、この時代には、「女学生ことば」という言葉イデオロギーが作り出されたが、
「女学生ことば」には「正当な国語でない」という否定的な意味づけが与えられていた、とし、
(p133)
私たちは、女ことばは女らしさと結びつけている考えがちですが、女ことばは、ことばの側面から女性を男性から区別する働きをしている のです。

(江戸時代の女房詞や明治時代の「てよだわ言葉」の女学生ことばも)どちらも選ばれているのが一部の女性たちが作り出した新しい言葉づかいで、女性たちが昔から創造的にことばを使ってきたことを示しています。

が同時に、女性たちの言語的な創造性は、ただ使っているだけでは正式な日本語として認められません。

その理由は、新しい言葉づかいの価値を決めるのは、その言葉づかいを創造した集団でなく、その言葉づかいに「ついて語る」言説 で、
江戸時代では女訓書であり、(明治時代は、)女子学生ではなく小説や識者の論評という言説です。

現代でも。ギャル言葉やおネエ言葉など、さまざまな人たちが新しいことばを創造しています。
けれども、それらの新しい言葉づかいが、正統な日本語として認められるか、それを決めるのは、言語行為について語る言説、現代でいえば、メディアや教科書など学問言説なのです、(p137)
とあった。

<・・・現代でも通用している「てよだわ言葉」は、西洋の翻訳が最初で、明治時代の女学生が使い出したのが起点となり、女性庶民に広まって行ったと云う事実は、初めて知ったことで、
夏目漱石の小説が今読んでも古めかしさを感じないのは、漱石の言文一致体の小説が、その時代の息吹を取り入れていたからだったのを知った。
「新しい言葉づかいの価値を決めるのは、その言葉づかいを創造した集団でなく、その言葉づかいに<ついて語る>言説」との指摘は、鋭いと思う。
「言葉」は生き物だと思っているが、今を生きている人間には、今後生き残る言葉が何なのか?分からないでいる。


<続く・・・>

by mohariza12 | 2013-01-15 01:14 | 言葉


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